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横浜地方裁判所 平成7年(ヨ)380号 決定 1995年11月08日

債権者

武藤豊

右代理人弁護士

影山秀人

根岸義道

栗山博史

呉東正彦

債務者

学校法人徳心学園

右代表者理事

黒土創

右代理人弁護士

竹内桃太郎

木下潮音

中野裕人

主文

一  債務者は、債権者に対し、平成七年四月一日から本案の第一審判決言渡の日まで毎月二一日限り、一か月金三八万七三〇〇円の割合による金員を仮に支払え。

二  債権者のその余の申立を却下する。

三  申立費用は債務者の負担とする。

事実及び理由

第一  申立の趣旨

一  債権者が債務者に対し、労働契約上の従業員たる地位を有することを仮に定める。

二  債務者は、債権者に対し、平成七年四月一日から本案判決確定まで毎月二一日限り、一か月金四〇万七八一〇円の割合による金員を仮に支払え。

第二  事案の概要

一  争いのない事実

1(一)  債務者は、住所地に横浜高等学校(横浜高校という。)及び横浜中学校を設置する学校法人であり、代表理事(理事長)の黒土創が両校の校長を兼務している。横浜高校は、一学年の生徒数が約六〇〇名の普通科男子校であり、横浜中学校は、中高六年間一貫教育実践のため昭和六〇年四月再開された一学年の生徒数が約一〇〇名の普通科男子校である。

(二)  債権者は、昭和六〇年四月中高一貫コースの国語科教諭として債務者に採用され、雇用されたものであるが、平成元年四月高校からの入学生徒で編成される一般コースの担当になった。債権者は、平成元年から山岳部の顧問をしており、また、平成六年度には高校一年一〇組のクラス担任をし、高校三クラスの教科担当を持ち、他に、庶務(副部長)、進学推薦委員会委員、国語科副主任の業務を担当していた。そして、平成六年度(一二月以降)の債権者の給与は月額四〇万七八一〇円(基本給三六万三八〇〇円、家族手当一万六〇〇〇円、住宅手当七五〇〇円、通勤手当二万〇五一〇円)であった。

2(一)  神奈川県高等学校体育連盟(高等学校体育連盟を「高体連」といい、これを「神奈川高体連」という。)は、県内所在の加盟高等学校をもって組織され、高等学校の体育活動推進を図る団体であり、主な事業は各競技専門部の担当する各種体育大会を開催することである。

(二)  債務者は、伝統的に体育活動が盛んで、横浜高校学内に二二の運動部が組織されており、そのうち、神奈川高体連に加盟する部は、山岳部も含め加盟男子高中最高の一九部に上がっている。そのため、多くの債務者職員が高体連の役員として協力してきたが、一方多くの職員が高体連当該部組織に協力することにより、債務者の本来の業務である授業その他校務に支障を生じないよう調整する必要があった。

3  平成五年九月二二日ころ神奈川高体連から横浜高校校長の黒土創(黒土校長という。)に対し、「役員ご委嘱について(依頼)」と題する書面により、平成六年一一月五ないし七日に西丹沢山域で開催される平成六年度第三八回関東高等学校登山大会(登山大会という。)の実行委員会委員(コース係)に債権者を委嘱する旨の依頼がなされ、同月二四日付けで神奈川高体連から債権者に対し、右役員について委嘱がなされた。そして、債権者は、平成六年六月四日及び一〇月一九日に開かれた登山大会打合せ会に債務者の主張許可を得て出席した。

4  横浜高校では、文化祭は毎年開催されるのではなく、二ないし三年に一回の割合で開催されるものであって、平成四年(創立五〇周年を記念するものであった。)に開催されて以来、平成六年一一月五、六日に文化祭である横高祭が開催されたところ、債権者が担任をする一年一〇組はクラス企画で横高祭へ参加した。

5  債権者は、平成六年一〇月二二日横浜高校の校務主任である平野伸夫(平野校務主任という。)を通じて、登山大会開催期間の出張許可願を債務者に提出したが、同年一一月五、六日に開催される横高祭と登山大会の日程が重なってしまったことを理由に右出張許可はなされず、債権者がさらに平野校務主任に欠勤して登山大会に参加したい旨申し入れたが、これも認められなかった。そして、債権者は、同年一〇月二二日には平野校務主任から、同月二四日には黒土校長から、いずれも、登山大会参加の出張は認めないので、一一月五、六日の横高祭の当日は校務を優先して出勤の上生徒の指導に当たるよう業務指示命令を受け、さらに同月四日には平野校務主任から必ず翌日は出勤するよう再度注意を受けた。

6  債権者は、平成六年一一月五、六日開催の横高祭の期間中欠勤して登山大会に参加した。そして、同月七日平野校務主任の自宅に電話連絡をしたが、その際同人から、再三再四の忠告にもかかわらず債権者が独断専行の行為を行ったことは懲戒解雇に該当する行為である旨の発言があった。

7  債権者は、同月八日黒土校長に対し「此度一身上の都合により退職致したく存じます。十年の永きにわたりお世話になり、本当にありがとうございました。」との文面の依願退職願(本件退職願という。)を提出し、同人はこれを受け取った。その後、黒土校長は債権者に対し、同年一二月末日までの勤務継続を指示した。

8  黒土校長は、平成六年一二月一二日債権者に対し年度末(平成七年三月末日)までの勤務継続を指示した。債権者は、平成七年二月二八日黒土校長に対し「昨年一一月七日に提出致しました退職の願を取り下げ、横浜高校のために誠意を尽くして働く機会を与えて頂きたく思います。」等記載された「願い書」を提出して、本件退職願を撤回する旨伝え、さらに同年三月一五日ころ改めて内容証明郵便で依願退職する意思のないことを伝えたが、債務者は、同月二〇日「願いにより平成七年三月三一日を以てその職を解きます」と記載された文書をもって債権者に解職の辞令を交付した(解職辞令という。)。

9  債務者の就業規則七五条には、「次の各号一に該当するときは懲戒解雇とする。」との記載があり、その四号には「業務上、上長の指示命令に従わず、越権専断の行為をなし、又は職場の秩序をみだしたもの」と記載されている。また、就業規則三〇条には、「次の場合は、有給の特別休暇を受けることができる。ただし非常勤講師には適用しない。」との記載があり、その一号には「法による年次有給休暇を受けることができる。ただし、夏季、冬季、春季の各生徒休校日にとるものとする。これ以外の日でも病気、又は止むを得ざる事由による欠勤の振替は六日を限って認める。振替残余日数は翌年度に限って繰り越しを認める。」と記載されている。

二  争点(債権者の主張)

1  本件合意退職は、債権者の心裡留保(民法九三条但書)により無効である。

債権者は、債務者から登山大会への出張許可が認められなかったが(欠勤届を出して参加することも認められなかった。)、既に大会役員としてBコースのサブリーダーという任務を負っており、大会直前に任務の変更を行うことは不可能であり、やむを得ず登山大会に参加したところ、これに対し平野校務主任が懲戒解雇になるから依願退職届を出したらどうかと勧めてきたため、それに従って依願退職届を提出したもので、内心では依願退職願を提出しておけば反省の情が債務者に伝わって退職までしなくて済むかもしれないという期待を抱きつつ始末書の感覚で本件退職届を提出したものである。債権者は、同年一一月中には結婚を控えていて、結婚後の生活を支えていくためにも横浜高校で継続して稼働する必要があったのであり、自ら退職を欲する理由もその意思もなかったのである。

したがって、債権者の合意退職の申込みは心裡留保によるものであり、債務者は、このような債権者の意思を当然に知りつつ本件退職願を受領したのであるから、民法九三条但書により本件合意退職は無効である。

2  本件合意退職は、債権者の錯誤により無効である。

(一) 債務者は、債権者が横高祭当日の出勤等の業務指示命令に違反し、無許可で登山大会に役員として参加するという越権専断の行為をしたから懲戒解雇事由(就業規則七五条四号)がある旨主張する。

しかし、黒土校長は、平成五年九月二二日ころ神奈川高体連からの「役員ご委嘱について(依頼)」と題する書面を受領して、債権者を登山大会実行委員に委嘱する申入れを了承し、平成六年四月には文化祭と登山大会の日程が重なることが判明したが、文化祭が優先するなどの発言を一切せず、債権者から大会実行委員の職責を解くなどの措置をとらず、むしろ、同年六月一五日には登山大会会長宛に債権者及び生徒一名の参加申込みを行い、文化祭よりも登山大会参加を優先させる態度を示していた。そこで、債権者は、大会実行委員としてコース係(サブリーダー)を担うことになったため、チーフリーダーと予定コースの下見を行うなどの準備を進め、大会直前の同年一〇月一九日の打合せ会にも出張扱いで出席した。また、債権者は、登山大会参加によって横高祭に参加できなくなるため、担任クラスの一年一〇組の生徒には事情を説明して了解をとっていた。しかるに、同月二二日債務者から登山大会への出張が許可されず、欠勤届を出して大会に参加することも認められず、大会直前に役員の任務変更を行うことは不可能であるため、やむを得ず、独自の判断で、横高祭に支障をきたさないように周到な配慮をした上で、横高祭期間欠勤して、登山大会に参加したものである。

したがって、登山大会への出張不許可は債務者側の全く恣意的な判断によるものであって、一年以上前から大会実行委員に委嘱されて準備を進め、代替不可能な重要な職責を担っている債権者の立場を全く考慮しない無謀な言動であり、右業務指示命令自体が不合理なものであるから、債権者がこれに従わなかったからといって、業務指示命令違反があったとか越権専断の行為があったと評価することはできない。

(二) 債務者における有給休暇制度は、債務者において一方的に年休の時季を夏季、冬季、春季に指定し、また、これ以外の日に取得する年休では病気又はやむを得ない欠勤を振り替えるという方法で六日に限ってしか認めておらず、労働基準法に違反するものであった。債権者は、平成六年度において登山大会当日までに少なくとも二日以上の年次有給休暇が残っていたのである。そして、横高祭当日の債権者の重要業務は担任生徒の出欠確認とクラス企画の監督であり、この業務のためには債権者が不可欠とはいえないし、また、債権者は学年主任にこれら業務を依頼して代替要員を自ら確保し、周到な準備をしたのであるから、時季変更事由は何ら存しないのである。

したがって、債務者の違法な有給休暇制度とその運用がなければ、債権者は問題なく有給休暇を利用して登山大会に参加できたのであり、登山大会参加が懲戒解雇事由にあたるなどという問題は起きなかったのである。

(三) 以上のように、債権者が横高祭の期間欠勤して登山大会に参加したことは懲戒事由にはなり得ないのであり、にもかかわらず、債権者は、平野校務主任の言うとおり依願退職願を提出しなければ懲戒解雇になると思って、それを唯一の動機として本件退職願を提出したのであるから、その意思表示の動機には錯誤がある。そして、右動機は債務者に表示されていたのであるから要素の錯誤となり、本件合意退職は無効である。

3  本件退職願による退職の申込みは、債務者がこれを承諾する前に撤回されており、債権者に退職の効果は生じない。

(一) 依願退職願は、労働契約という継続的な、労働者の生活にとって死活的な契約関係を終了させる重大な効果をもたらすものであるにもかかわらず、複雑な背景や流動的な状況の中で不明確性を含む意思表示としてなされることが多いから、依願退職願がいかなる内容の意思表示であり、いつ確定的な効果を生ぜしめるものであるかについては、極力明確な指標に基づいて当事者の合理的な意思を慎重に判断すべきであり、依願退職願の撤回は、退職の辞令等の使用者の確定的な意思表示があるまでは信義則に反しない限り自由になし得るのである。

(二) 債権者が本件退職願を提出した際黒土校長から受諾の意思表示はなされず、債権者は、その後黒土校長から二学期末まで本件退職願の受理は延期する旨言われ、さらに、一二月一二日に年度末までの勤務継続を指示されたもので、債務者の意思表示は極めて曖昧で、明確な意思表示は解職辞令交付を除けば一度もなく、本件退職願についても「預り」の扱いをしており、債権者と債務者の間で確定した退職の合意はなかったのであるから、債権者の本件退職願による退職の申込みが当初から債務者によって受諾されたことにより債権者と債務者との間で退職の合意が成立したということはない。そして、横浜高校では、債権者が本件退職願の撤回の申入れをした二月二八日時点では教科編成の内容を変更することは十分できたのであるから、債権者の本件退職願の撤回の申し入れが信義に反するところはない。

(三) したがって、債務者が解職辞令を交付した三月二〇日以前である二月二八日になされた債権者の本件退職願の撤回は有効であり、債権者について平成七年三月末日の解職の効果は生じない。

4  保全の必要性

債権者は、債務者から支給される賃金を唯一の生活の糧とする妻子ある労働者であり、本案事件の確定を待っていたのでは回復し難い損害を被るおそれがあり、また、教育の公益性故に公立、私立を問わず尊重される教員の身分保障の観点等から、本件仮処分は、地位保全、賃金仮払ともにその保全の必要性は高いものである。

三  債務者の主張

1  本件合意退職が債権者の心裡留保(民法九三条但書)により無効であるとの主張に対して

(一) 債権者は、平成七年一〇月二二日には平野校務主任から、同月二四日には黒土校長から、登山大会のための出張は認めないので横高祭の期間出勤して生徒の指導に当たるよう業務指示命令を受け、さらに同年一一月四日には平野校務主任の注意を受けて翌五日には出勤することを約束したにもかかわらず、同日出勤せず、債権者から電話連絡を受けた平野校務主任による出勤を促す説得にもかかわらず出勤を拒否し、登山大会参加を続行した。債権者が再三の注意にもかかわらず債務者の業務指示命令を無視し、出勤を拒んだことは、就業規則に違反し、懲戒解雇相当の行為であるので、債務者は、同月六日直ちに校内の懲戒解雇手続をとることを決定した。しかして、同月七日債権者から電話連絡を受けた平野校務主任は、債権者に対し、債権者の行為は懲戒解雇に該当する行為であり、一一月八日以降この手続をとることが決定されていること、将来に汚点を残さないよう依願退職を考えてみてはどうかと忠告した。すると、債権者は、翌八日朝出勤と同時に黒土校長に本件退職願を提出し、その後平野校務主任に二学期が終了する一二月末日までの勤務の継続を懇願した。そこで、黒土校長は、本件退職願を直ちに受理するとともに、右債権者の勤務継続の処置を諮るために午前九時から中高合同総務会(高校、中学校の理事長・校長、副校長、主事、主任、事務長ら管理職者で構成し、学校運営全般にわたって情報を交換し、相互の連絡を密に図り、重要な事項について討議して、最終責任者であり、最終決定者である理事長・校長を補佐するために学園の中枢的機能を果たすことを目的とするもの。)を開催したところ、債権者の依願退職の申出と一二月末日までの勤務継続が承認され、債権者は一二月末日をもって依願退職することが決定し、債権者に対する懲戒手続は進めないことになり、右決定は黒土校長から債権者に直接口頭で通知された。その後一二月九日になって債権者から黒土校長に対し平成七年三月末日までの勤務継続の承認願が出されたので、同月一〇日総務会で検討されてこれが承認され、同月一二日黒土校長がその意思を確認した上、債権者に口頭で通知した。

(二) したがって、債権者は、真実債務者を退職する意思をもって本件退職願を債務者に提出したのであり、債権者の退職の意思表示について何ら心裡留保はないのであって、民法九三条但書が適用される余地は全くない。

2  本件合意退職が債権者の錯誤により無効であるとの主張に対して

(一) 前記のとおり、債権者は、債務者から横高祭当日に出勤して担任クラスの指導に当たるよう業務指示命令を受けたにもかかわらず、これに従わなかったのであるから、業務指示命令に違反するものであり、さらに出張の許可を得ずに登山大会に役員として参加した行為は無許可出張であって、債務者の許可を受けずに越権専断の行為をなしたものであり、懲戒解雇事由に該当するものである(就業規則七五条四号)

(二) 債務者は、神奈川高体連からの平成五年九月二二日付けの「役員ご委嘱について(依頼)」と題する文書を受領してはいるものの、高体連の役員は通常二年度を一期として委嘱されるが、この任期中には加盟各校とも人事異動、校務分掌の変更ないし各職員の健康状態等種々の都合により一旦委嘱された役員について任期中の異動が行われることは珍しいことではなく、平成五年九月に一旦委嘱状が出されていたとしても、概括的な役職務の委嘱のほかに当該年度あるいは大会実行前に改めて役員派遣願を学校長宛に出されるのが通例である。また、特に私立学校の場合、個別の出張等の手続は、各職員の勤務する学校法人の定める手続に従って行われるのであって(債務者の場合、事前に出張許可願を校長宛に提出して、出張の日時、その間の担当授業の有無、行先、用件等を明らかにし、校務の差支えができるだけ生じないよう配慮して出張の許可が与えられる。)、単に高体連の役員の委嘱を受けたからといって、それだけで具体的な大会参加等のための職員の出張が予め許可されたということにはならないのである。

(三) 債権者の平成六年一一月五、六日の出張については、債務者の重要な行事である横高祭の当日であったので許可されなかった。債務者では、横高祭を極めて重要な校内行事と位置付けており、生徒の自由参加ではなく、参加希望のクラス、文化部に対しては内容、運営等をよく指導し、在籍生徒の士気高揚を図るだけでなく、父母にも子息の活躍を知ってもらい、また小中学校生徒の父母及び卒業生を含めた外部に対して学校や生徒の実際の姿、雰囲気を知ってもらう場として極めて重要なものと捉えていた。債権者の担任クラスは横高祭への参加を決めており、債権者は当日生徒を指導する重要な校務があり、また当日の担任生徒の出席の確認も重要であった。一方、平成六年六月登山大会参加申込みをした一名の生徒は同年七月末日をもって部活動を引退し、登山大会には参加しなかったのであるから、債権者の監督者としての大会参加は意味がなくなったのである。神奈川高体連の各部会への参加は各校の校務に優先して行われるものではなく、また、高校のスポーツ活動の中心はあくまでも生徒であり、参加生徒がいない活動に職員の個人的利害や興味で参加する理由は全くないのである。事実、債務者において横高祭期間中に大会参加等の理由による出張を許可した職員は九名いるが、新人戦(ボクシング)抽選会に一名出張した以外の八名はいずれも大会参加等の生徒を引率するための出張であり、それも、横高祭の催物がなかったり学級担任でなかったりして、校務については支障が生じないような事情があったものである。また、債務者は、登山大会の約二週間前である平成六年一〇月二二日債権者に明確に一一月五、六日の出張は認められないと指示したのであるから、債権者としては直ちに登山大会の役員を辞退する等の措置をとるべきであり、またそれは可能であったのであり、債権者に校務に支障を生じさせてまで登山大会に役員として参加しなければならない義務も権利もない。

したがって、事前に二回の出張が許可されたからといって、横高祭という重要な学校行事の際に担任クラスを指導するという具体的校務を放棄して、引率する生徒が全くいない、役員としてのみの債権者自身の登山大会に参加するための出張が認められることにはならないのであって、債権者に対し横高祭の当日出勤して生徒の指導に当たるよう命じた業務指示命令に不合理なところはない。

(四) 債務者は、従来職員に対して法の定めるところにより有給休暇を付与することとしていたが、学校という職場の状況に応じ、労働組合との合意に基づいてそのうち年間六日を除く日数については夏季、冬季、春季のそれぞれ生徒休日期間中に取得する運用がなされていた。しかして、債権者は、平成六年度の有給休暇取得日数は一八日であるところ、本件大会前に既に一四日(八月四日から一二日までの間の八日、八月二二日から二七日までの間の六日)の有給休暇を取得し、その他一〇日の欠勤のうち六日は有給休暇に振り替えられており、付与された日数以上の有給休暇を取得していたのであり、有給休暇を利用して登山大会に参加することはできなかったのである。そもそも業務出張が許可されなかったことに対し有給休暇を取得して参加することが認められる合理性は全くなく、出張をもって行うべき業務に有給休暇を取得して個人の資格で参加することはあり得ないのであって、高体連は債務者が学校として加盟している団体であり、その大会に参加することは債権者が個人として行うことではなく、債務者の職員として行う行為である。したがって、本件において、有給休暇制度が問題になって債権者の行為が業務指示命令違反による懲戒解雇に該当しないということにはならない。

(五) 以上により、債権者には、就業規則に照して懲戒解雇事由に該当する業務指示命令違反の行為があり、債権者は、自己の行為が債務者の業務指示命令に違反するものであることを十分に熟知していたものである。債務者は、債権者が明確な信念を持って業務指示命令違反行為を断行したものと判断し、債権者に対する懲戒手続を進めることを決定したところ、平野校務主任の説諭により債権者は本件退職願を債務者に提出したのであって、債権者の退職合意の申込みに何ら動機の錯誤は認められないし、債務者側に対して動機の錯誤が表示されてもいない。

3  本件退職願による退職の申込みが債務者が承諾する前に撤回されており、債権者に退職の効果は生じないとの主張に対して

(一) 債権者が本件退職願を提出し、債務者がこれを受理して、債権者の退職日が平成七年三月三一日と合意され、解職辞令が債権者に交付された経緯は、前記1項(一)に主張したとおりであり、したがって、債務者が平成六年一一月八日本件退職願を受理することにより、債権者と債務者の間に退職の合意が成立したのであり、当初退職日は同年一二月末日と合意したが、その後債権者と債務者が再度合意して、退職日を平成七年三月末日とすることに変更し、債権者が平成七年三月末日をもって債務者を退職することが合意されて確定したのである。

債務者から債権者に対し、平成七年三月二〇日付けで解職辞令が交付されているが、これは、予め成立していた退職の合意の確認のために交付したものであり、この辞令交付をもって債務者が債権者の本件退職願を受理し、承諾したものではない。したがって、既に債権者と債務者の間で退職の合意が成立しているのであるから、その後に債権者が一方的に退職願を撤回することは認められない。

(二) また、債務者では平成六年一二月ころから平成七年度の教科、クラス担任の編成を決定する準備を開始し、一二月中には中高各クラスの担任等の案が決定し、平成七年二月一七日ころまでには非常勤講師を含む各教科担当者の名簿が時間割編成を担当する教務部に提出され、具体的な時間割編成の作業が開始されたところ、債権者は平成七年三月末日での退職が決定していたので、平成七年度の編成には加えられていなかった。このように、本件退職願の受理から四か月近くが経過し、平成七年度の教科担当も決まり、具体的な時間割編成作業が進行している平成七年二月二八日に至り、債権者は突然本件退職願の撤回を債務者に申入れたものであるから、本件退職願の撤回は信義則上からも認められない。

第三  争点に対する判断

一  事実経過等について

疎明資料によると、次の事実が認められる(争いのない事実も含む。)。

1  債権者は、平成元年横浜高校の山岳部の顧問になった。横浜高校の山岳部は神奈川高体連登山専門部に加盟しており、月一回の月例山行、夏合宿のほか、五月に行われる神奈川県総合体育大会(八月の全国大会、一〇月の関東大会の選考会を兼ねる。県総体という。)、八月に行われる全国大会、一〇月に行われる関東高等学校登山大会(いずれも選考された場合)、一月の新人大会がその主たる活動である。債権者が顧問になった平成元年当時は複数顧問制をとっていて、債権者のほかに倉地教員が顧問をしており、部員も八人いたが、平成六年度からは顧問は債権者一人になり、部員も同年四月末日の時点で一人もいなくなり、その後同年五月三年生の星光が、六月三年生の福谷順和が山岳部に入部した(但し、債務者に提出された部員名簿に載っている部員は星一名だけであった。)。そして、平成六年度は、五月二八日ないし二九日県総体(西丹沢)に債権者、星が参加し、六月二五、二六日月例山行(奥多摩雲取山)に債権者、星、福谷が参加し、七月一八ないし二二日夏山合宿(北アルプス穂高連峰)に債権者、倉地教諭、星、福谷が参加して、部活動が行われたが、星らは三年生のため七月末で実質的な部活動を終えて就職活動に入り、二学期からは部活動はミーティング中心に少なくなった。

2  関東高等学校登山大会は、関東高体連が主催し、同登山部等が主管して一都七県が持回りで、毎年一〇月ころ会場となる県の高体連登山専門部が責任をもって実行委員会を作って開催していた。平成六年度の同登山大会は、関東高体連、神奈川県教育委員会が主催し、関東高体連登山部、神奈川高体連、同登山専門部が主管して、平成六年一一月五ないし七日の日程で神奈川県西丹沢を会場にして開催されることが平成五年度には決まっており、同年九月正式に関東大会実行委員会が発足した。そして、加盟各校へ大会役員の委嘱がなされ、学校の許可を得られた各校顧問には改めて委嘱状が送付され、その後実行委員会が実質的に活動し、各顧問の実行委員としての具体的役割分担が決定し、具体的に準備が進められていった。しかして、債権者は、同月神奈川高体連登山専門部から実行委員会委員(コース係)を担当してもらいたい旨の依頼を受けた。そこで、同月下旬横浜高校登山部の顧問の一人の倉地教員が、神奈川高体連会長進藤隆博及び同登山部長小澤明夫の連名による、平成七年一一月五ないし七日の開催日程を明記した、横浜高校長宛ての、関東高等学校登山大会に債権者を実行委員会委員(コース係)に委嘱したい旨の委嘱依頼書を提出して、黒土校長に右受嘱、顧問の大会参加許可を依頼した。その際、倉地は、大会実施時期が平成六年一一月五日から七日までであること、その準備のために大会当日まで何度か実行委員会が開かれること、関東大会は関東高体連加盟一都七県の持回りで開催し、平成六年度は神奈川県が開催県であり、地元開催のため各校顧問の協力が必要不可欠であること等を話したところ、黒土校長は右委嘱について受諾した。そして、債権者がその旨神奈川高体連登山専門部に伝えたところ、同月二四日神奈川高体連は正式に債権者を右登山大会実行委員会委員に委嘱し(任期は同日から平成六年一二月三一日まで)、委嘱状が債権者に送付された。

3  平成六年五月の県総体終了後、登山大会の役員及び選手構成が最終的に決定し、債権者は、Bコースのコース役員(二人のコース役員の一人でサブリーダー)に決まり、大会当日出場一六校九六名の先頭を歩き、コースをガイドする任務を担うことになり、また、山岳部員の星は補助役員とし登山大会に参加することになった。そして、債権者は、同年六月監督債権者、選手星光と記載した登山大会参加申込書を作成し、同月一五日黒土校長から登山大会に出場することを認める趣旨の校長印を押捺してもらって、右申込みをした。右申込みは、実質的には、債権者は登山大会役員、星は役員補助としての参加申込みであり、星はコースの途中に立って通過する選手を確認するチェッカーの役割を担っていたが、登山大会当日就職試験と重なったため、役員補助としての登山大会参加はしなかった。

4  債権者は、その後Bコースのチーフリーダーの清水充治と共に大会当日のコースを実際に歩いて下見をしたり、リハーサルするなど準備を進め、平成六年六月四日(土曜日)午後一時から港南台高校で行われた登山大会打合せ会や、一〇月一九日(水曜日)午後二時から希望ケ丘高校で行われた登山大会最終打合せ会にも債務者から出張の許可を得て参加し、清水とコースのチェックポイントや危険箇所などについて打合わせをし、事前の準備を入念に行っていた。また、同年一〇月七日登山大会プログラム(全二七頁)が神奈川高体連登山専門部により編集され、関東高等学校登山大会実行委員会により発行されたが、同プログラムには、債務者代表理事で横浜高校の校長である黒土創も大会役員(参与)として名を連ねており、また、実行委員の一人、Bコースのコース役員として債権者の氏名も記載されていた。

5  ところで、横浜高校の文化祭である横高祭は、文化部とクラス企画が任意参加して、二ないし三年に一回開催されており、平成六年四月の時点で、同年一一月五、六日に二年ぶりに横高祭が開催されることが決まっていたところ、債権者が担任の一年一〇組も同年九月生徒が自主的に「レストルーム」というクラス企画で横高祭に参加することを決めた。その内容は、卓球台を置いて卓球ができ、ジュース(ペットボトル入り)が飲め、マッサージが受けられ、山の写真も見ることができる(客が来ない時は生徒が卓球をしてジュースの味見をする)というもので、クラスで実行委員長、副委員長、書記を決め、右三役が中心になって生徒が自主的に準備を進めていた。横高祭当日の債権者の校務は、担任生徒の出欠の確認と横高祭に参加したクラス企画についての監督、指導ということになるが、債権者は、予め生徒に、登山大会に参加するために横高祭に出られないことを話して、生徒に納得してもらっていた。

6  かくして、債権者は、同年一〇月二二日平野校務主任に、登山大会参加のため同年一一月五、六日の出張許可願を提出したところ、債権者担任のクラスも参加する横高祭と日程が重なることを理由に、これが許可されず、さらに債権者が欠勤届を出して行くのはどうかと尋ねたが、それもまずいと言われた。債権者は、同月二四日黒土校長に会って右出張を許可するよう頼んだが、文化祭を優先して下さいと言われ、結局登山大会参加のための出張は認められず、両者から、一一月五、六日の横高祭の当日は校務を優先して出勤の上生徒の指導に当たるようにとの業務指示を受けた。

7  債権者は、登山大会と横高祭のどちらを優先すべきか悩んだ末、債権者が登山大会直前に役員をおりたら大会運営に支障が出て、横浜高校の信用問題にもなると考え、登山大会に参加することに決めた。そして、同年一一月一、二、四日クラスの生徒達と一緒に横高祭の準備をし、これを完了させた上、同月四日学年主任の山本教員に、登山大会に参加するので、横高祭のクラスのことは頼みますと述べて同人の了解を得たが、同日平野校務主任から再度横高祭には出勤して生徒の指導に当たるよう注意を受けた。

8  横高祭における債権者担任クラスの企画については、一一月五日午前一〇時ころマッサージコーナーのベニヤ板に「昇天させます」という売文句が書かれていたため、先生に注意されて撤去するということがあったが、それ以外は特段のできごともなく、全般に来客も少なくて低調であった。

9  債権者は、平野校務主任らに何ら連絡もなく同年一一月五、六日欠勤して、一一月五日から七日まで登山大会に参加した。登山大会は、一一月五日は午前一一時受付で、開会式、公演、AないしE隊の編成が行われ、各コースの出発点になるキャンプ場、ロッジ等まで移動して同日の日程は終了し、同月六日は競技が実施されたが(午前五ないし六時に出発して午後四ないし五時に帰着した。)、一日雨天でコースの状態が悪く、コース役員の仕事も難儀であり、その後選手交流会、監督・役員交流会が行われ、同月八日は午前六時三〇分各キャンプ場を出発して丹沢湖ダム見学後閉会式が行われて、午後一一時解散になった。

10  しかして、横浜高校では、一一月五日に開かれた総務会(学校の管理職である校長、副校長、主事、校務主任、副校務主任及び事務長をもって組織する会議で、学校運営上の重要な事項について審議する組織)で債権者の無断欠勤の件を検討し、とりあえず欠勤の事情を確認することにした。そして、平野校務主任が債権者の自宅に電話連絡したところ、債権者は留守であったが、後刻債権者から平野校務主任に電話があり、債権者が登山大会に参加していることが判明した。そこで、平野校務主任は債権者に対し、このまま出勤しない場合は懲戒解雇の可能性のあることを伝え、直ちに出勤するよう説得したが、横高祭の日程が終わる午後四時までに債権者は出勤せず、何ら連絡もなかったことから、同日夕方開かれた総務会で、債権者の行為は業務指示命令違反であって、就業規則七五条四号の懲戒解雇事由に該当するということで、同七六条に基づき懲戒手続を進めることが確認された。

11  同月七日夕刻債権者から平野校務主任に電話連絡があった。平野校務主任は、同月二七日に行われる予定の債権者の結婚式の媒酌人を引き受けていた関係から、債権者の晴の結婚式を懲戒の身で迎えることがないようにしたいと考え、債権者を叱責した上、「このままでは懲戒解雇に該当してしまう。将来に汚点を残さぬよう依願退職によって懲戒を免れることを考えてみたらどうか。退職届を提出したほうがよい。」旨強く説諭した。債権者は、平野校務主任の右言葉に当惑し、この一件で懲戒解雇になり得るのかとも考えたが、結婚式の媒酌人を頼んでいる平野校務主任が言うことなので、このままでは懲戒解雇になってしまうのも間違いない、それを免れるためには退職届を提出するしかない、と決心し、翌八日朝出勤後、前記文面の本件退職願を作成して、これを黒土校長に提出した。

12  同日午前九時から中高合同総務会が開かれ、債権者が提出した依願退職の申出を承諾し、退職日については同年一二月三一日付けとすることが決定され、債権者に対する懲戒処分の手続を進めることは見合せることになった。そして、黒土校長は、右総務会終了後直ちに債権者に右決定を口頭で伝えた。その際、同校長は、生徒の指導上の問題等から債権者に対して退職が決定したことは他言しないよう注意した。

13  債権者は、同年一二月三日平野校務主任と飲酒したが、その際、債権者の勤務継続について話題になり、債権者は国語科副主任で入学試験の問題作成員であること、一年の修学旅行が三学期にあること、担任の生徒を学年最後まで指導したいことなどを理由に、平野校務主任に平成七年三月末日まで勤務したい旨希望を述べ、平野校務主任も、校長に債権者の勤務継続について話してみる、他の総務にも根回しをするなど述べた。そして、同月一〇日に行われた総務会でこの件が検討されて決定され、同月一二日黒土校長が債権者の勤務が平成七年三月末日まで継続することを債権者に口頭で伝えた。

14  平野校務主任は、債権者の妻が妊娠したことから、平成七年二月二三日媒酌人として祝の席を設けたが、その際債権者は、平野校務主任に新年度以降も横浜高校で勤務できるよう口添えを依頼したが、平野校務主任はこれを断った。そこで、債権者は、同月二八日黒土校長に前記文面の願い書を提出して、本件退職願を撤回する旨伝え、さらに黒土校長宛の同年三月一五日付け内容証明郵便(同月一六日到達)で依願退職する意思のないことを伝えたが、同校長はこれを拒否し、同月一八日職員会議で債権者が依願により同月末で辞めてもらうことになったと発表し、黒土創は、平成六年度の終業式の当日である同月二〇日債務者の代表理事として債権者に解職辞令を交付した。

二  右認定事実(争いのない事実も含む。)に基づき争点(債権者の主張)について順次検討する。

1  心裡留保(民法九三条但書)による無効の主張について

債権者が本件退職願を提出した経緯は前記認定のとおりであって、債権者は、平野校務主任及び黒土校長の、横高祭の当日は出勤の上生徒の指導に当たるようにとの業務指示命令に従わずに欠勤し、そのため平野校務主任から懲戒解雇になるので退職願を提出したほうがよい旨説諭され、このままでは懲戒解雇になってしまうと考えて、それを免れるために本件退職願を提出したものであり、本件退職願提出による合意退職の申込みの意思表示は債権者の真意に出たものであると認められる。仮に債権者の主張するように、債権者において始末書の感覚で本件退職願を提出したもので、債務者を退職する意思はなかったとしても、前記認定の経緯に鑑みれば、債務者側(平野校務主任又は黒土校長)において、債権者に退職する意思がないことを知っていたとも、また、知りうべきであったとも認めることはできない。債権者の主張は採用できない。

2  錯誤による無効の主張について

(一) 債権者は、債務者の業務指示命令に従わないで横高祭の期間欠勤して登山大会に参加したことが懲戒解雇事由になり得ないのに、平野校務主任の言うとおり懲戒解雇になると思って本件退職願を提出したのであるから、その意思表示の動機に錯誤がある旨主張する。本件では、債務者としては債権者の行為が就業規則七五条四号の懲戒解雇事由に該当すると判断して懲戒手続を進めようとしたことは前記認定のとおりであるが、債権者において、本件退職願を提出する当然の前提として、平野校務主任の言により懲戒解雇が理由があり、有効になされると認識したとみることができるから、債権者の行為が懲戒解雇事由に該当するのかどうかということが、債権者の合意退職の申込みをする動機に重大な影響を及ぼすものである。そこで、前記認定事実等に基づき、本件において債権者に懲戒解雇事由があって、債務者は債権者を懲戒解雇することが可能であったのか否か判断する。

(二) 債務者の山岳部も神奈川高体連に加盟しているところ、平成五年九月の時点で、毎年各県持回りで開催される登山大会について平成六年度は一一月五ないし七日の日程で神奈川県の西丹沢山域で開催されることが決定し、大会実行委員会が発足して神奈川県各校の山岳部顧問に協力要請があり、債務者山岳部の顧問である債権者にもコース係としての役員の委嘱がなされ、債務者も登山大会の内容や日程等を把握した上で、これを了承したのである。そして、平成六年五月以降大会実行委員会で本格的な大会準備に入り、債権者は、Bコースのサブリーダーとなって、チーフリーダーと共に綿密な打合せ、準備を進め、債務者も六月の時点で債権者が登山大会に参加することを了承し、登山大会直前の一〇月一九日にも債権者が登山大会の最終打合せに出張することを許可し、それまでの間、登山大会役員委嘱を解くよう神奈川高体連に申し入れたり、債権者に登山大会の参加を認めないような注意、指示をするなどのことは全くしていなかったのである。したがって、債権者において、当然出張の許可が得られて登山大会に役員として参加することができるものと認識し、期待していたことは推認に難しくない。しかるに、債務者は、代表理事の黒土創が登山大会の役員(参与)に名前を連ねており、登山大会が成功裡に終わるよう協力すべき立場にあるのに、登山大会開催二週間前になって、債権者が欠席すれば登山大会の運営に支障が生ずることが予測できたのに、債権者に対し登山大会当日開催される横高祭への出勤を命じて、登山大会参加のための出張を許可しなかったのである。債権者は、債務者から登山大会参加のための出張が認められないと指示された後、直ちに大会関係者に連絡して善後策を協議するなどしていないが、登山大会において債権者が役員として担っていた職務などを勘案すると、債権者が直ちに役員を辞退したとしても何らかの形で登山大会に支障が生じたことは推認に難くない。

債務者は、登山大会と同日に開催された横高祭が債務者にとって重要な行事であると主張するが、もともと高校の文化祭であるから、生徒が主体になって自主的に準備し、参加するのが普通であって、横高祭においてもクラス企画はあくまでも任意参加であるところ、債権者の担任クラスは九月になって生徒が自主的にクラス参加を決め、実行委員を中心に生徒主体に準備を進め、横高祭に参加したもので、その内容からして、担任の債権者が横高祭当日に生徒と一緒にクラス企画に参加し、一々監督、指導に当たらなければできないものでもないのである。学校において教員である債権者の第一に重要な校務が授業にあることは自明であり、それに比して、横高祭における債権者のクラス担任としての校務は、その重要性において劣るのは否めず、債務者も債権者の役員委嘱を了承し、債務者の代表理事が参与になっている登山大会のBコースのサブリーダーという役割を負っている債権者が、登山大会に支障を生じさせないための役員としての参加もできず、登山大会を犠牲にしてまで出勤して携わらなければならない程重要な校務であったかはなはだ疑問である。部活動の中心は生徒であって、顧問の本務も在籍生徒の指導が第一であることは、債務者が主張するとおりであり、債務者において横高祭期間中に大会参加等の理由による出張を許可した職員は九名いるが、新人戦(ボクシング)抽選会に一名出張した以外の八名はいずれも大会参加等の生徒を引率するための出張であり、その多くは学級担任でなかったり、クラス参加の催物がなかったりしたものであり(疎乙第七号証)、これと比して、債務者において運動部顧問の横高祭期間の出張としては、債権者の大会役員としての顧問だけの参加は異例にみえなくもない。しかし、債権者が参加しようとした登山大会の内容、性質は前記のとおりであって、債務者においても登山大会に協力すべき関係にあったのであり、登山大会に債権者の担っていた役割を考えると、必ずしも、引率すべき生徒がいない大会に顧問一人が役員として参加することが部活動の本来の趣旨にそわないとして否定されるべきものでもない。債務者において、本件の債権者の場合のように生徒を引率しないで役員としての顧問だけの出張が認められないというのであれば、横高祭の日程が確定して登山大会と日程が重なることが明らかになった四月の時点、役員参加の申込みをした六月の時点で、遅くとも債権者の担任クラスが横高祭への参加を決めた九月ころまでには神奈川高体連なり債権者なりに登山大会役員の委嘱を解くよう申し入れたり、役員としての登山大会への参加は認められないと明確に指示するなりして、登山大会運営に支障が生じないような措置をとるべきであったのに、何らこれらの措置をとらないまま登山大会開催二週間前まで経過したのである。この観点からも債務者の取った業務指示命令の措置が適切を欠いたと批難されてもやむを得ないものがあるといえる。

(三) そもそも、債務者の就業規則では、債務者が一方的に年休の時季を指定しており、労働基準法に違反する内容であったところ、疎明資料によれば、横浜高校では、有給休暇について、従来から職員は直接有給休暇申請をするのではなく、まず欠勤届を出し、学校側の判断で有給休暇に振り替えるという取扱いをしていたが、債務者は、平成六年になって、「欠勤届(有給休暇振替届)」と記載された用紙を廃止して「欠勤届」の用紙のみとし、有給休暇申請用紙さえ備え付けなくなり、債権者ら職員は、右就業規則で定める方法でしか年休を取得することはできないと誤信しており、自由に年休を取得できないような状態であったこと、平成七年四月横浜中高等学校教職員組合の申入れにより横浜南労働基準監督署が債務者に対し行政指導に入り、債務者は、有給休暇を学校側が一方的に振り替えるようなやり方、有給休暇を一方的に夏休みをはじめとする長期休暇中に取得するよう強制するような扱い、有給休暇取得にあたって欠勤届を出させる扱いを改めるよう指導され、同年五月新しく就業規則を修、改正して、就業規則案を組合に提示したが、就業規則案三〇条については、一方的な時季指定文言は削除され、単に「年次有給休暇は法の定める手続に従って受けることができる。」と改正されていたことが認められる。したがって、債権者は、右就業規則案のような労働基準法に則った就業規則の下であれば、横高祭の期間であっても容易に有給休暇を取得して登山大会に参加することができたのであり、そうであれば、債務者の業務指示命令も全く意味がなく、越権専断の行為とみなされることもなく、債務者は、労働基準法に則らない有給休暇の制限の下に、債権者に対し横高祭に出勤せよとの業務指示命令を出したことになる。そして、横高祭期間の債権者の校務は担任生徒の出欠確認とクラス企画の監督、生徒指導ということになるが、その具体的内容は前記説示したとおりであって、右校務のために債権者が不可欠とはいえず、債権者以外の職員が代りに行うことができ、代替要員の確保も容易であって、現に債権者は学年主任の教員に代りを頼んで登山大会に参加しているのであって、債権者が休んだことにより、横高祭期間の債務者の事業の正常な運営を妨げるような状況にあったとは到底認められず、したがって、債務者が有給休暇の時季変更権を行使し得るような状況にはなかったものである。

債務者は、平成六年度の債権者の有給休暇取得日数は一八日であるところ、債権者が登山大会前に既に有給休暇一四日(八月四日から一二日までの間の八日、八月二二日から二七日までの六日)、欠勤による有給休暇振替処理六日で合計二〇日の有給休暇を消化していた旨主張するが、その疎明として提出された疎乙第二〇号証(岩本孝義の陳述書(二))は、債権者の夏休み予定表に記載された行事予定を基に、その行事が実際に行われたとして有給休暇取得日数を算定しているに過ぎず、その他に有給休暇に関する資料が疎明資料として提出されているわけでないところ、債権者は、右予定表に記載した行事のうち八月二二日から二七日までの東北蔵王安達太良山登山は実際は実施しなかったと主張しており、右予定表に基づく疎乙第二〇号証からは債権者が取得した正確な有給休暇日数は明らかでないというべきであり、債権者には、登山大会開催までに少なくとも二日以上は年休が残っていたと推認することができるものである。

債務者は、また、出張をもって行うべき業務に有給休暇を取得して個人の資格で参加することはあり得ない旨主張するが、本件において、債務者が債権者の高体連の登山大会参加のための出張を許可しなかったため、それに参加するための有給休暇の取得が問題になっているのであって、右出張が許可されなかったからといって、直ちに登山大会参加の合理性がなくなるわけではなく、有給休暇制度の問題も債務者の業務指示命令の合理性、適切さに関連してくるのであって、債務者の主張は採用できない。

(四)  以上、債権者が神奈川高体連の登山大会実行委員に委嘱されてその準備を進めていった経緯、横高祭における債権者の校務等勘案すると、労働基準法に則らない有給休暇制度の下になされた、登山大会参加の出張を許可しないで横高祭に出勤して生徒の指導をするようにとの債務者の業務指示命令は、不合理で適切を欠き、それ故、債権者がこれに従わないで欠勤して登山大会に参加したことが懲戒解雇事由である業務指示命令違反、越権専断行為とみなされるものではなく、仮に、形式的にこれが懲戒解雇事由に該当するとしても、前記認定、説示からすると、これを理由とする懲戒解雇は解雇権の濫用として無効になるということができ、結局、本件においては、債務者が債権者を懲戒解雇する可能性はなかったものである。

したがって、債権者には懲戒解雇事由はなく、懲戒解雇の可能性がなかったのに、債権者は、平野校務主任の説諭により懲戒解雇になると誤信して本件退職願を提出したのであって、その退職の申込みの意思表示には動機の錯誤があるというべきで、これが債務者側に表示されていたことは明らかであるから、要素の錯誤となり、本件合意退職は無効である。

3  保全の必要性について

債権者が、解職辞令を受けた前三か月間に債務者から平均一か月四〇万七八一〇円の賃金を支給されていたことは争いがなく、債権者が賃金を唯一の生活の糧とする労働者であり、本案判決の確定を待っていたのでは回復し難い損害を被るおそれがあるということができる。しかして、右賃金のうち通勤手当(一か月二万〇五一〇円)については、現実になされた通勤に伴う費用を弁償するために支給されるものであるから、保全の必要性は認められないが、右通勤手当を控除した賃金三八万七三〇〇円の仮払については、第一審の判決言渡の日までの保全の必要性が認められる。しかし、従業員たる地位にあることを仮に定める仮処分は、保全の必要性があると認めることはできない。

第四  以上により、債権者の申立は、主文一項の限度で理由があるので、保証を立てさせることなく、これを認容し、その余の申立を却下することとして、主文のとおり決定する。

(裁判官木下秀樹)

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